私は子どもの頃、祖父母と一緒に暮らしていました。祖母が亡くなった当時、私は中学生でした。中学生ながらに疑問を感じたことがあります。
認知症高齢者には大切な人の看取りを伝えるべきなのでしょうか。伝えないべきなのでしょうか。
認知症の祖父
私が中学生の頃、祖父は80代。中学生だった私は祖父の病名は知らないのですが、当時の祖父は入院していました。
認知症の祖父。入院中は手を抑制されていたことを覚えています。祖父は手を自由に動かせないように、ベッド柵に紐で固定されていたのです。今の時代では簡単に抑制はできないのですが、数十年前の話ですので…
その紐を外してほしい祖父は、面会に行く度に「包丁を持ってこい!」と言っていました。包丁を使って紐を切りたかったのでしょう。
私のことも孫だと認識できておらず、「○○(父の名前)のことをよろしくお願いします。」と言われたり。孫なりに複雑な気持ちでした。
そんな祖父。入院する前にはフラフラしながら(高齢ですので…)自転車で畑に行こうとして、警察に保護していただくことも。
両親も介護が大変だったんだろうなと今ならわかるのですが、当時はそこまで理解はできていませんでした。
祖母の入院
祖父が入院中、祖母は自宅で過ごしていました。明治生まれの祖母。着物生活でパンツをはく習慣はなく、腰巻きというものがパンツの代わり。高齢になって失禁もみられるようになると、廊下に祖母の便が落ちていることもありました。
私は4人兄妹。両親は私たち4人を育てながら祖父母の介護。今思えば、本当に大変だったんだなと感じます。
そんなある日、祖父の面会に行こうとしていた祖母が転倒。手を骨折してしまい、行くはずだった祖父の面会に行くこともできず。そのまま祖父とは別の病院へ入院となりました。
両親は祖父に祖母の入院は伝えませんでした。きっと祖父がソワソワし、落ち着かなくなることが予測できたからでしょう。
祖母の死
祖母は骨折で入院となりましたが、入院中に体調を崩しました。そして徐々に元気を無くしていったのです。
もう先は長くはないだろう…
それでも両親は祖父に祖母のことを伝えませんでした。
そして祖母は祖父に会うことなく他界。
祖母の葬儀の日。葬儀に参列するため、病院から一時帰宅した祖父(当時は自宅での葬儀が主流でした)。葬儀の準備がされた我が家を見て、「誰の葬式かい?」
そして祖母の亡骸と対面。
泣き崩れる祖父を見て居たたまれない気持ちになりました。長年連れ添ってきた夫婦の最後の対面が、このような形で良かったのか?
生きていたら伝えたいこともあったのではないか?今は天国で仲良く暮らしていると思いますが、この世とのお別れのときも大切にしてあげたかった。
祖父母の最後のお別れは、数十年経っても心に引っ掛かっています。
伝えるべき?伝えないべき?
中学生の私には両親がとても冷たく感じてしまいました。なぜ祖父に伝えてあげなかったのか?なぜ祖母に会わせてあげなかったのか?
当時の両親の置かれた状況を考えると、両親も精一杯だったのだとわかるのですが、中学生の私には理解できませんでした。
祖父母はそれぞれ違う病院に入院していましたし、簡単に会わせてあげられる状況ではなかったと思います。まして中学生以下の子どもを4人抱えフルタイムで働く両親。できる限りのことをしていたのだと今なら思えます。
それでも会わせてあげたかった。祖母のことを伝えたことにより祖父が一時的に落ち着かなくなったとしても、祖父にきちんと伝えていたら、祖父母の最後の時間はもっと違ったものになったのではないか?祖母も安心して旅立てたのではないか?長年連れ添ってきた夫婦だからこそ、お互いに伝えたいこともあったのではないか?
祖父母の別れは中学生だった私にとって納得のできるものではありませんでした。
そんな祖父母の思い出もあり、認知症の方に真実を伝えるべきか?伝えないべきか?と考えたとき、私はできるだけ伝えてあげたいと思うようになりました。
祖父母が教えてくれた私が大切にしたいことです。
だけど色んな形の家族があり、それぞれに抱えている事情や思いがあります。
そのことを忘れず、ひとりよがりにならないように支援に取り組んでいきたいと思います。
コメント