母の孤独死を発見する。
私にとっての衝撃的な体験。
救急要請し救急隊員に死亡確認してもらい、次は警察の現場検証が始まりました。
※関連記事『母の孤独死から学んだ、家族が今できること。前編』はこちら
現場検証
警察が到着した後、救急隊員は申し送りを済ませ帰っていきました。
私は警察から話を聞かれます。
警察は事件性がないかを確認していきます。
母に触れていないか?
私は母の傍にいることさえ怖いと感じていたので、母に触れてはいません。
母の持ち物は?
母がいつも持ち歩くバッグは、母の傍にありました。物騒ではありますが、母はその中に財布・通帳・印鑑・身分証明書など大切なものをすべて一緒に入れていました。
そして警察は母の写真を撮り始めます。
私は母の横にいたのですが、写真に写り込んでしまうので別の部屋に行くよう指示され別室に移動。
その間警察は、母の持ち物をすべて廊下に広げて写真を撮っていました。
別室で待ちながら、兄妹にも状況を連絡。
しばらくすると一人の警察官が来て、再度話を聞かれます。事の経緯をまた一から説明。
もちろん家族関係についても聞かれました。
いろいろなことを聞かれ(細かい内容は忘れましたが💦)、話が終わった後は別室で待機しておくよう指示を受けます。
しばらく経ち、警察から呼ばれ母の元へ。
しかし、そこに母の姿はありませんでした。
看取りと孤独死の違い
医師による検案を受けるため、母はすでに警察の手によって警察車両に乗せられていたのです。
コロナ禍であったため、近くの病院は受け入れができないとのこと。
そのため、警察署で検死を受けることになりました。
しかし、母の住む町には交番しかなかったので、実家から車で40分かかる警察署まで行くことに。
警察から検死にかかるおおよその時間を伝えられ「検死が終わった頃に来てください。」と言われました。
検死が終わるまで(事件性がないと確認できるまで)、家の中は触らないようにと指示も受けます。
このまま実家に一人で残るつもりはないけれど、母の傍で待つこともできないのか…
カルチャーショックを感じてしまいました。
病院や施設での看取りであれば、故人と家族の時間を大切にします。
ご遺体を移動するときもご家族と一緒です。
そのため、娘である私に何のことわりもなく、母が警察車両に乗せられていたのは衝撃でした。
検死の間も家族は傍にいることができない…
看取りであれば、息を引き取られた後も故人を「人」として接します。
しかし、孤独死では違いました。
孤独死した母は「人」ではなく「遺体」。
「人ではなく物として取り扱われている」という印象が強く残りました。
もちろん、孤独死であったとしても、心をこめて接していただくこともあると思いますし、そうあってほしいと願っています。
記事に書いたことは、あくまでも、私個人が感じた私個人の思いです。
一緒に過ごせない時間
母の検死が終わる時間まで、私は警察署の近くの公園で待つことにしました。
警察署で待つことはできなくても、できるだけ母の傍にいよう。
そんな思いで…
そして検死が終わる頃、兄夫婦が来てくれました。
やっと来てくれた!これで一人じゃない…
母の孤独死の対応を一人でしていた私。
張り詰めていた気持ちがゆるみ、安堵した瞬間でした。
そして兄夫婦と一緒に警察署へ行き、待合スペースで待っていると、検死が終わったと連絡が。
「検死が終わりました。(母に)会われたら、葬儀社の迎えが来るまで、外の待合スペースで待っててください。」
霊安室に一人横たわる母。
お疲れ様。もうすぐ帰れるよ。
けれど面会の時間はほんのわずか。霊安室で母の傍にいることも許されず、また離れて待つことに…
母を一人にしているのが心苦しい。
でも決められたことなので仕方がない。
改めて、看取りと孤独死の違いを感じました。
その後、しばらくして葬儀社の迎えがあり、やっと母は家族と過ごせるようになったのです。
家族の気持ち
孤独死した母。
どんな気持ちで旅立ったのだろうか。
一人で逝かせてごめんね。
早く見つけてあげられなくてごめんね。
そして、今までありがとう。
…
孤独死、それはとても無機質なものに感じました。
人としての尊厳はどこにあるのか?
死んだ後は人として見てもらえないのか?
…
命がおわるとき、それは、その方の人生の締めくくり。
だからこそ大切にしたい。
母の死を通して、改めて看取りを大切にしたいと感じました。
私にできることは少ないけれど、最期の時間を共有してくださる皆さんを大切にしたい。
気付きをくれた母に感謝。
天国から見ててね!
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