70代の男性の最期のときのお話。
男性はイレウス(腸閉塞)を繰り返す方で、イレウスになると治療を希望して他の病院に入院することを繰り返していました。
先日もイレウスとなり私が勤務する病院から他の病院へ転院された男性。誤嚥性肺炎を起こしており、翌日にはご逝去されたそうです。
命を終える場所、どのように考えますか?
今回の入院
前回もイレウスで他の病院へ入院されていた男性。治療を終えて私が勤務する病院へと戻って来られました。しかし前回の入院のときと明らかに様子が違います。前回まではベッドから転落してしまうのではないかと思うほどベッド上でも身体を動かしていたのに、今回は起き上がろうとすることがありませんでした。食事が大好きで食事の時間をいつも気にしていた男性が、今回は食事のことを口にしない。食欲もなく自分では食べようとしないことも。顔色も悪くむくみもあり、体調が優れないことは明らかでした。
転院
そんなある日、男性が嘔吐。毎日便は出ていた男性でしたが、その日は便も出ておらずイレウスを再発している可能性がありました。奥様へ連絡すると、とりあえず様子をみていてほしいとのこと。絶食と点滴で様子をみることになりました。その後も嘔吐を繰り返す男性。血圧も下がり熱も出てきました。認知症もあった男性は症状をうまく伝えることができず、痛みや吐き気があるのかもはっきりとわからない状況。けれど、口数は減り元気もない…
私が勤務する病院は精神科でありできる治療は限られている。そこで奥様に再度ご連絡し、治療のできる病院へと転院が決まりました。
延命する?延命しない?
後日、男性が誤嚥性肺炎で亡くなられたことを知りました。転院した次の日だったそうです。
入院されたときに今後どうしたいかについて意向を伺うのですが、急変時の対応について男性のご家族は「延命する。搬送希望(治療ができる病院への転院)」とされていました。しかし、治療を受けていた病院に入院されるときはいつも「延命を希望しない」とされていたそうです。
もしも、私が勤務している病院でも「延命を希望しない」とされていたら?
もっと違う関わり方ができたのではないかと思ってしまうのです。延命を希望されている場合、どうしても治療に目がいきます。しかし「延命を望まない」=「看取りを希望する」場合にはQOL(クオリティ・オブ・ライフ)を重視します。
※QOL:「生活の質」「人生の質」を意味する概念。単なる物質的な豊かさではなく、個人の主観的な満足度や充実感を重視すること。
男性は今回入院された時点から、人生の最終段階であったと思います。もちろん治療できることで苦痛を取り除くことができれば、それはとても大切なことです。けれど、人生の最期の時間であれば、積極的な治療が苦痛になることもあります。その判断はとても難しい。
もしも、男性とご家族が看取りまでを希望しておられたのであれば、もっと男性が望む最期に目を向けられたのではないか?もっと丁寧な関わりができたのではないか?と、どうしようもなかったことだとしても、何もできなかったことが悔やまれてしまいます。
いのちを終える場所を考える
もちろん、ご家族は男性にとって一番良いと判断されてのことだったと思います。その上で、治療ができる病院での最期を希望されたのだと思います。
いのちを終える場所を考えることは簡単なことではありません。希望する施設や病院に空きがなかったり、信頼できるスタッフがいる病棟での最期を希望しても、治療を終えている段階であれば他の病棟へ転棟となることもあります。
それでも、できるだけその方が望む最期を、ご家族が望む最期を迎えることができる場所に出会えるといいなと思います。
男性の御冥福とご家族の心の平安を心よりお祈りします。
最後までお読み頂きありがとうございました。
皆さんと、皆さんの大切な方が幸せを選んでいけますように。
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