【親の看取り】お父さんへ。花嫁が父へ贈った結婚式。

終活・看取り

父の命が終わりを迎えようとしている。そのとき、私の妹は京都で結婚式を控えていました。

「娘の結婚式に出るんだ」と懸命に治療に臨む父。けれど京都へ行く体力は残っていない。

家族みんなが諦めかけていた結婚式。しかし、その夢が実現することに!

叶えるきっかけをくれたのは、担当の看護師さんの一言でした。

「結婚式を熊本でしてもらうことはできませんか?」

思いもよらぬ提案に驚きながらも、父の願いを叶えるため皆が動き出しました。

余命宣告を受けた父へ。感謝の想いを込めて結婚式を贈ろう。

そして迎えた結婚式当日…

そこにはタキシード姿で照れたように微笑む父の姿が。

これは、父の夢を叶えた私たち家族の奇跡の物語です。

病気の父

11年前、私の父は病に侵されていました。

年が明けてすぐの頃、左手が腫れてきて症状に気づいた父。直ぐに病院を受診しましたが、なかなか診断がつきません。

刻一刻と時間だけが過ぎていきます。

3月になりようやく悪性リンパ腫であることが判明し、大学病院へ入院となりました。

2ヶ月の間に病状も進行していたのでしょう。入院当初より父の状態は良くはなく、「家族で過ごす時間を大切にしてください」と告げられていました。

父の願いを叶えた結婚式

そんな中、私の妹は11月に京都で結婚式を控えていました。

しかし父が住んでいたのは熊本。京都までの道のりは遠い。父の体力では結婚式に出ることは難しいだろう。誰もがそう感じていました。

それでも父は諦めません。愛娘の結婚式を心から楽しみにしていたのです。

辛い治療にも耐え、積極的にリハビリに励む父。

「娘の結婚式に出るために頑張るんだ。」

その思いが父の心を支えていたのでしょう。

しかし、思いとは裏腹に病状は悪化。

抗がん剤治療等の影響で体力は消耗し、一人で歩くことさえ困難になっていたのです。

そのころ肺への転移も見つかり、日に日に力を失っていく父…

熊本での結婚式という提案

ある日、父の担当の看護師さんが私に提案しました。

「妹さん、結婚式を熊本でしてもらうことはできませんか?

思いもよらない話に驚きながらも、すぐに妹へ連絡。

今まで考えたこともない提案だったので、はじめは妹もビックリしていましたが、「旦那さんに聞いてみるね!」と。

そして、その夜には「熊本城が見えるホテルに予約したよ」と連絡がありました。

父のためだけに9月に熊本で結婚式を挙げてくれることに!

妹夫婦は大阪に住んでおり共働き。11月の結婚式の準備もある中、熊本での結婚式も承諾してくれたのです。

簡単ではない提案にも関わらず、すぐに動いてくれた妹夫婦には感謝しかありません。

本当にありがとう!

担当看護師さんの思い、妹夫婦の優しさ、そして父の願いを実現できることになり胸がいっぱいになりました。

再び早まる結婚式

9月に予定された、熊本での結婚式。

父に喜んでもらいたい!その一心で皆が準備を進めていく中、

「もう少し結婚式を早めてもらえませんか?」

担当の看護師さんから二度目の提案がありました。

父の体調は良いとは言えず、9月まで命が持つかわからない状況だったのです。

妹へ父の状態を伝え、結婚式について再び相談することに。

「そうなんや…」妹は父の状態が思わしくないことにショックを受けていました。

しばらく黙り込んでしまった妹。

けれど覚悟を決めたように、すぐに提案を受け入れてくれました。ホテル側も快く日程調整して下さいました。

そして父のための結婚式は8月へと予定を早めることになったのです。

病院側も協力してくださり、父の体調を整えるため治療メニューを調整。こうして父は無事に結婚式当日を迎えることができました。

タキシード姿の父

当日、私が病院に到着すると、父はタキシードに身を包んでいました。

少し緊張した面持ちの父。

やっと、この日を迎えられた…

安堵の気持ちと喜び。そして、父と過ごす残された時間の尊さを感じ、胸がいっぱいになりました。

看護師さんたちが父の元に集まってくれます。

そして「かっこいいですよ!」と笑顔で声をかけてくれると、父は照れたように笑っていました。

出発前、「写真撮りましょう!」と看護師さんからの提案で、父を囲んで記念撮影。

「ハイ、チーズ!」

母も嬉しそうに父に寄り添っていました。

温かな空気が流れ、父もきっと幸せを噛み締めていたと思います。

多忙な中、父のために時間を割いてくれた看護師さんたちには感謝しかありません。

愛娘とのヴァージンロード

式場に到着し、いよいよ結婚式。

純白のドレスに身を包んだ妹。

娘の晴れ姿を目の当たりにした父の目には、私たちには見えないようにしていましたが涙がにじんでいたように思います。

ヴァージンロード。

父は歩くことができなかったので車椅子で進むことに。

母が静かに父の車椅子を押します。

親子三人で歩むヴァージンロード。特別な時間が流れていきます。

妹は幸せを噛みしめるように涙ぐんでいました。

不器用ながらも娘にできるかぎりの愛情を与え続けた父。

厳かなときの中で、娘夫婦の門出と幸せを祈り、新郎へこれからの娘の未来をそっと委ねたのでしょう。

娘をよろしく頼むよと…

みんなと同じ食事を食べたい

式が終わり、食事の時間。

父は嚥下機能(食べ物や飲み物を口から胃まで運ぶ一連の過程)が低下していたため、ホテルにお願いして特別メニューを用意してもらいました。

しかし、特別メニューは見た目も食感も他の人たちと違う。

普通のメニューが美味しそうに見えた父は、母の食事を食べていました。

むせることなく上手に食べている父。そして特別メニューを食べる母(笑)

そんな両親の様子が微笑ましく感じられました。

そうだよね!みんなと同じものが食べたいよね?

美味しく食べれたのであれば良かった!

初孫とのキャッチボール

食事後は屋上庭園へ移動し、初孫の成長を見てもらうことにしました。

野球少年だった私の息子(父にとっての初孫)

父が元気だったころ、二人はよくキャッチボールをしていました。

初孫の相手を務めるためにグローブまで新調していた父。

今はキャッチボールは難しいけれど…

息子の相手は新郎のお父様がして下さることに。

楽しそうにキャッチボールをする息子。

その様子を、父は目を細めて見つめていました。

もっと孫の成長を見ていたかった…

そんな思いが伝わってくるようでした。

キャッチボールが終わり、祖父の元に駆け寄る息子。自分のサインをしたボールをそっと手渡します。

精一杯の感謝を込めて、祖父へサインボールを贈ったのです。

後日談になりますが、父の葬儀の日のこと。

息子は思い出のサインボールをこっそりと棺に入れていました。

おじいちゃん、天国でも見守っててね!

きっと父はしっかりとボールを受け止めてくれたと思います。

花嫁が父へ贈った結婚式

結婚式のおよそ1ヶ月後、父は天国へと旅立ちました。

11月の結婚式には出席できませんでしたが、父のためだけに計画された結婚式には参加でき、とても喜んでいました。

それは、花嫁が父へ贈った結婚式。

家族だけの、特別でかけがえのない時間でした。

担当看護師さん、無理を受け入れてくれた妹夫婦、ホテルの皆様、病院の皆様。

そして、頑張って生きてくれたお父さん。

私たち家族は、お父さんと出会えて、たくさんの愛情をもらえて本当に幸せでした。

ありがとう、お父さん。

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